三沢光晴
13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。広島県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。
という記事が目に飛び込んできた。
余りにも突然だったので、何度も記事を読み直しインターネットで詳細を確認した。
急死から一夜明けた14日、福岡・博多スターレーンに超満員となる2600人のファンを集めて「Southern Navig.’09」が開催された。
ファンは声を枯らして応援し、選手も悲しみを振り払うように懸命に戦い抜いた。
悲しみをこらえて22日まで続く残る4大会をまっとうすることを発表した。
「いかなる時も全力で試合に臨む」。
何があってもファンを大切にする、という故人の遺志を尊重した決断だそうだ。
いつも思うことだが、予期せぬ『死』に直面したとき、他人事とは思えない。
「人は誰でも必ず死ぬから」と自然体で受け入れている部分がある。
‘覚悟’や‘恐怖’とも違う、とても身近に感じている。
ただし、「今は死ねない」とも思っている。
理由は、仕事上の事もあるが、両親だけでなく、祖母も健在な現在、
親より先に死ぬ事ほど親不孝なことは無いと思っている。
また、幼い子供を残しても死ねない。
こう書くと、現会長の父(私の祖父)が、会長が2歳のときに戦争から帰ってきて自宅で亡くなった時の話しを思い出す。
終戦で帰ってきた祖父の体はボロボロで、本来なら既に亡くなっていてもおかしくない状態だったそうだが、
何とか家族の住む家まで帰らねばという魂が体を家まで運んだような感じだったそうだ。
そして、「安心せい、ワシは死んでも死なへん」と何度も言っていた。
今、同じ2歳の子供が居る私は、祖父がどれほど「今は死ねない」と思いながら家まで辿り着いたか、また、「死んでも死なへん」という言葉の中に、死を免れない現実を受け止めながらも、「死んでからも力になる、父親としての役割を果たす」という強い想いが感じられてしかたがない。
現にたくさんの後押しや後援を受けていると思っている。
こんな想いも含めて、多くのモノを受け継いで現在の私がある。
すこし反れてしまったが、
ノア社長でプロレスラーの三沢光晴の死に直面して、
残された他のレスラーやスタッフが、
「いかなる時も全力で試合に臨む」。
何があってもファンを大切にする、という故人の遺志を尊重し、
22日まで続く残る4大会をまっとうすることを発表した事に、非常に感銘を受けた。
三沢光晴社長も、社長として大切にしてきた魂が受け継がれたのだから、
何よりもこの決断を喜ばれているのではないだろうか。
また、マット上での最後の言葉が「ダメだ、体が動かねぇ」というのも三沢らしい。
体にある予備タンクまで全て使い切ったのだろう。
死後の世界は生きている時以上に忙しいと聞いたことがあるので、
ちょっとは、ゆっくりして下さい。
これからも家族のため、会社のため、スタッフのために走り回るのでしょうから。
お疲れ様でした。ご冥福をお祈りします。
そして私も、毎日を大切に、全力で活きたい。