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平成30年も3月ではなく「春」を迎えた

最近、制約が成長を妨げるなーーと感じることが多くなった。

例えば、このブログ。
私の場合、過去に書いたことを私自身が読み返すことはまったく無い。
ただ私が居なくなった後に、私を直接知らない人や未来において、平成に生きた日
本人の考え方や、ものづくりに対する価値観など参考になるものもあるかもしれないから、
少しぐらい残しても迷惑にはならないだろうという感覚で、
心が動いたときに、文字で残すくらいである。

以前に増して、ある程度の文章量に収めようとか、定期的に書こうという、
無意識の制約が更なる拘束を招き、文字におこしたことで、
物事をはっきりとさせてしまう、区切りを決めてしまうように感じてしまう、それが嫌になってきた。
物事の終焉は、寂しいという感覚だけではなく、自分の器量では決められないこと、という思いもある。

FaceBookやTwitterと違い、ここのブログは相手のところへ押しかけない。
ご自身の意思で見に来た人だけが見られるから、続けているということもある。

2月と3月。
2月といえば「寒い」「雪」を連想し、3月と書いた途端に「春」「桜」を連想する。
しかし3月でも「4月上旬の陽気」と言ったり、かたや「雪」も降るのに、
「春」と「桜」に縛られる感覚が、私自身嫌なのである。

その点、春夏秋冬という四季や、立春や啓蟄という二十四節気は、微妙に変化するあたりが好きである。「お日さんがだいぶ伸びてきたなぁ」
まさに立春のころ、母が毎年口にする言葉。

「また草が生えてきたなぁ」
これは清明のころ、毎年聞く言葉。

知識ではなく、自然と調和し、五感に頼り、循環することだけを意識した生き方をする中で、気付ける人に成れる気がする。
また、そんな生き方の方が好きである。

こんなことを書いてるのも「春」のせいかもしれないが。。