昭和から平成、そして令和へ
平成31年4月 30日(火) 天皇陛下におかれましては、本日つつがなく御譲位(御退位)され、明日、皇太子殿下が践祚(せんそ)されて第126代天皇となられますことを心からお祝い申し上げます。
昭和最後の日、私は高校生でした。
高校のクラブ活動を中心に、たくさんの先輩、親友、後輩との親交は今も続いています。
高校卒業後には体育大学に入学し、身体を絞り込みながら心を鍛えて頂けたことで、社会人として活躍する時の原動力を養う時期を過ごしました。
当時を思い起こすと、厳しい練習に付いて行けず、折れそうになる心。
もう止めよう、これで最後にしよう、と何度も自問自答する中で、そこから這い上り、卒業まで続けることができたのは、苦楽を共にした仲間の存在があったからこそでした。
今では大問題間違いなしですが、当時のクラブ内での呑み会では、下級生は割り箸を割る事が許されず、ひたすらにお酒を呑む事が役割でした。お酒が強い人も弱い人も関係なく、全員ぶっ潰れるまで呑まされる。
毎回まさに稽古以上に命懸けの行事だから、知恵も付くし仲間同士の連携も巧妙になる。
最初は「玉砕」しかなった我々も「バレない逃げ方」を学び、逃げきれない時は「先輩を道連れ」にして1人でも減らす・・・。
それも叶わない時には、「テロ」を起こして次の呑み会に望みを託す・・・。
テロと言っても、その場を潰してしまうことや反旗を翻すような無作法なことではなく、
酔いが回り意識朦朧とする中で、胃の中の液体を顎の力で押さえ込み、
最後の力で狙ってた先輩のカバンまで匍匐前進し、カバンを開けたところで脱力する。
こんな可愛い一矢の酬い方もありました。
しかし、練りに練った作戦のつもりでも、自分が先輩になった時には、後輩の動きが手に取るようにわかるものです。
自分のカバンが狙われている仲間を羽交い締めにして、後輩の実行を爆笑の中で見届ける。
そして、自分が下級生だった時には、きっと先輩も分かって見守っていたことに気付く。
こうして様々な現場教育を経て成長させていただきました。
改めて、
昭和で育てて頂き、平成で鍛えて頂きました私が、これから始まる「令和」の時代を明日に控え、今までと何ら変わらない では期待外れも甚だしいと、痛切に責任を感じます。
名も無き職人が全力で取り組むことは大河の一滴ではあるけれども、その一滴がいつの世も次の時代を創り上げて来たのだから。
令和の時代でも、
自然の恩恵に美しさと喜びを感じ、美味しい食事、大切な仲間との語らい、そしていつも身の回りには、そっと見守ってくれるように絹がある豊かさ。
今まで先人先輩がそうして来たように、これからは私が黒子となって仲間と共に役目を果たしてまいります。
皆様にとりましても、この新たな門出が素晴らしいものになりますことを心よりお祈り致しております。
平成31年4月 30日
株式会社 山嘉精練
代表取締役 山内 伸介